悪と全体主義

 

 p107 法は、人々の「理性」に訴えかけるものです。その限界が見えたということは、逆にいえば、理性に訴える以外の支配もあり得るということ。全体主義が、まさにそうです。全体主義が形成される過程で人々を支配したのは、法や理性ではありません。

p125 人間は、次第にアナーキーになっていく状況の中で、為す術もなく偶然に身を委ねたまま没落するか、あるいは一つのイデオロギーの硬直した、狂気を帯びた一貫性に己を捧げるかという前代未聞の二者択一の前に立たされたときは、常に論理的一貫性の死を選び、そのために肉体の死をすら甘受するだろうーだがそれは人間が愚かだからとか邪悪だからということではなく、全般的崩壊のカオスの状態にあっては、こうした虚構の世界への逃避こそが、とにかく最低限の自尊と人間としての尊厳を保証してくれるように思えるからなのである。

p183 人間は、自分とは異なる考え方や意見をもつ他社との関係のなかで、初めて人間らしさや複眼的な視座を保つことができるとアーレントは考えていました。多様性と言ってもいいでしょう。

p195 アーレントのメッセージは、いかなる状況においても「複数性」に耐え、「分かりやすさ」の罠にはまってはならないーということであり、私たちにできるのは、この「分かりにくい」メッセージを反芻しつづけることだと思います。